なおこが行く 品井沼はどこへいった!?
宮城県仙台地方振興事務所農業農村整備部の情報ブログです。
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JR東北本線に「品井沼(しないぬま)」という駅があるのをご存じでしょうか。

でもこの周りには沼はありません。
では、なぜ「品井沼」という駅名なのかはてな

実は品井沼駅の北西に広がる田んぼは、昔は大きな沼だったんです驚く
「品井沼」の「シナイ」というのはアイヌ語では大きな川という意味です。
その名前のとおり、かつては東西6.5キロ、南北3キロ、
面積2,500haというとても大きな遊水池でした。
昔の品井沼

1693年(元禄6年)、仙台藩士大越喜右衛門の総指揮のもと
この沼を田んぼにして作物を作ることになりました。
でもこの沼の水をどうやって抜いたのか・・・。

昔の人はすごいですキラーン

品井沼から水路を掘って松島湾に水を抜こうと考えましたひらめき
その距離なんと約7キロ驚く


中にはトンネルの部分(約3キロ)もあります。
このトンネルを「元禄潜穴(げんろくせんけつ)」と呼んでいます。

今みたいに工事用の機械なんて無い時代なので
くわや、つるはし等をつかって掘っていきますズバリ

う~ん、沼の水を抜きたいから海まで
水路を掘っちゃおうって、その発想がすごい。
しかも人力で

BKYt7CxK.jpg

この工事が始まったのが1693年のことです。
以前、仙台藩百万石のお話をしました。(その時の記事はこちら
仙台藩は63万石ありましたが、実質は百万石あったと言われているのは
こういった新田開発があったからなんです。

1702年(元禄15年)には開拓が一段落しますが、
工事が終わったあとも、土砂や木の枝で潜穴がつまり
何度も水害が起こっていました。
そこで、1809年から1861年までに
計6回の大改修工事が行われました。

何度も改修工事を行ってはきましたが
大雨になると鳴瀬川の水が逆流し水害がおこっていました雷

その水害を解消するため、1907年(明治40年)には「明治潜穴」の工事が始まりました。
この工事の中心となったのが有名な「鎌田三之助」です。
「鎌田三之助」と言うとピンと来ないかもしれないですが
「わらじ村長」と言えば聞いたことがあるのではないでしょうか?
この工事は反対派も多く、鎌田三之助は反対を唱えた人の家を
一軒一軒まわり、説得していきました汗3

先日紹介した大正天皇の記念碑ですが、
大正天皇が皇太子時代に訪れたのが1908年(明治41年)のことです。
当時、皇室の力は絶対だったので、
皇太子に激励をうけたことにより増資され、工事を続行することができたのですヘルメット
「明治潜穴」が完成したのは1910年(明治43年)のことです。

その後吉田川改修、幡谷サイフォン新設、代行干拓事業が順次実施され、
そして1950年(昭和25年)、ついに品井沼の干拓が完了しました紙吹雪

このように品井沼の干拓は300年という長い月日と沢山のお金、
そして数え切れないほど大勢の人々の努力によって成し遂げられました。
上には書きませんでしたが工事は順調に進んだわけではなく
土砂崩れがおこって沢山の人が生き埋めになる事故がおこったり
その他にも悲しいお話が今でも語り継がれています。
今広がっている田園風景は沢山の人たちの苦労の上に
できあがったものなんですね。

こういうことを知ってみると、ご飯粒ひとつ残さず
大切に食べなきゃな~という感じがしますよねおむすび

C5bOhept.jpg

元禄潜穴については仙台地方振興事務所のHPでも紹介しています。
どうぞご覧下さいませ~。→クリック
その他もっと詳しく紹介しているサイトもありますので
ぜひぜひ検索してみてくださいdeco4b545ad75e815.gif


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